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先取りの木の実。 救荒のクリをひろう。 クリ臼栗)は、ブナ科に属する藩葉高木または低木です。 大きいものだと高さ25m.直径60pになるものもあります。 材質が堅固で、しかも水湿に強いことから、古くから家屋の恭礎材、鉄道の枕木などに利用されてきました。 また樹皮はクリ色の染用としても利用されてきましたが、何といっても私たちに身近なものは、秋の味党を代表する果実です。 早生種はすでに8月中旬から採取されるものもありますが、わが国では10月下旬が一般 的です。 クリは大別すると、日本グリ、中国グリ、ヨーロッパグリ、アメリカグリがあります。 わが国では野生の小粒のものを普通「シバグリ」あるいは「ササグリ」と呼んで、このシバグリの中から実の大きなものを選んで品種改良がされてきました。 しかし、品種名が確立したのはまだ歴吏が蔵く、昭和に入ってからのことです。 わが国で最も古い栽培の歴史を持つ「丹波グリ」は、銀寄という品種の系統がその主体を占めています。 中国産のものでは、「天津甘栗」の名で知られる河北省のアマグリが有名です。 愛らしい小粒の上に甘味が強く、渋皮も離れやすく、しかも焼くと香ばしいかおりがすることから広く大衆に食されてきました。 ただ、これがすべて輸入品に依っている理由は、この品種はクリタマバチと呼ぷ害虫に非常に弱く、目本での栽培が不可能なためです。 ヨーロッパの原産地はカフカス(コーカサス)西部といわれ、紀元前のローマ時代には8品種.が存在していたといわれます。 フランス、イタリア、スペインなどで盛んに栽培されていますが、フランスのお菓子「マロングラッセ」は特に有名です。 実際に雄ウシ、ヒツジ、豚、ガチョウ、ニワトリのひななどは、あるていどこんにちの生計指数の基礎的な数値になっている。 食肉やミルクは、常に労働力と論理的な関連をもつ基本的な食物である。 一六世紀のはじめ、近東や北アフリカから欧州に輸入された毛皮の伝統的な商売は、みるみるアウグスブルク、ニュールンベルクやフランクフルトに住む南ドイツの商入たちの手に落ちていった。 近東や北アフリカの都市にある大商社は、そのころ急速に力がおとろえつつあったハンザ同盟市のそれに匹敵するものであった。 ある年、フッガー社とベルザー社は毛皮をスイスのなめし皮工場(そのあるものは賃ーマ時代にまでさかのぼる)に売って、いまの一万八〇〇〇ボンドに相当する一万二〇〇〇アウグスブルク通貨もかせいだ。 これら二つの商社は、アントワープからリスボンやベニスにまたがる都市に巨大な倉庫をもつ支店をおいていた。 マイン川、ライン川やダニューブ峡谷、そしてリヨンをふくむスイスやブルゴーニュの都市の小売商入たちは、いつでもアウグスブルクの商人の倉庫から毛皮、たるに入ったラードや極上の食用家禽を手に入れることができた。 ハンガリーのウシの群れはすぺて、ボージュ山脈を越え、ダニューブ川に沿った東西の交易路を経て仏の内陸へと運ばれた。 |