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たくさんの仲間を語る。 明治、大正から昭和の初期までは、鉢植えには佗ぴ寂びの哲学があり、そ拠は学識豊かな愛好家の提唱するものであり、業者もその線に沿って勉強したものであり、今圓の技術、培髭の一辺倒とはいささか異なった奥行きをもっていたのである。 そのような趣好に合致するのが、寒幟の相なのであり、そ拠は画の手本として珍重された「芥子園画伝bに示される雑木の寒樹の相を理実に示すものであ9、 佗びの面から見れば、小実で小花の四季咲きの朝蟀姫の風情である、霜も近いかと思われる晩秋の頃に見る実の風情、花や管とともにまばら見ら拠るのであるDまさに鉢植えのダイゴ味が判然としてしめされるのである。 ザクロは珍らしく、一種、一属、一科と言われ、その名はラテン語からきており、中東地方には有巽以前からあった。 我が国には中国朝鮮を経て.遺唐使時代に伝えられたものと 言われ、当初は薬用として騙いられたものちしい。 「万緑叢中紅一点」の名句は中国の詩人がこの花に対して述ぺた詩の一節と言われる。 花は千咲く,成る実は一つとも言われるように.鉢植えでも花はほとんどの枝先に咲くかとも思われ.成り花であっても歩止まりは悪く.花も終わり近くあきらめかけた頃に辛うじて羨つかが止まるのが普通だが.鉢植えは数ではなく味わいなのであり、一鉢に多くはいらず.3-5傾で充分と言った所で湯る。 葵を著けるためには、肥科に気を配ったり、幾分根詰り氣味の方法も大切である。 当時申心となったのは大箋であり、厩木な どから取り木して作り込まれたと恩われる。 動物飼育のもっとも進歩した形は、その発祥の地メソポタミアにある。 紀元前二〇五〇年に、シュメール人のシュルギ王は、ニップール市の近くに「新式の」動物飼育場を持っていた。 プズリッシュの宮殿跡の発掘で、この飼育場から運び出したウシを記録した文字板が発見された。 これらの動物は、ニップールの寺院かウルクの宮殿のどちらかで殺される運余にあったのである。 醐蟄が小石と貝殻でつくられた絵本、「ウル[バビ・ニァの古都]のスタンダード」には、シュメール人の家畜が描かれている。 それには二種類のウシ、すなわち飼い馴らされたスイギュウとオーロックスに似た動物が表現されている。 また、ヒツジやヤギも見られる。 ロバ、あるいはオナガー[ペルシヤノロバ]も、縦五三センチメートル、横二三センチメートルの二枚の刻板に認められる。 これらの動物は、青銅製の輪ぶちで保護されたらしい、四つの木製車輪をもつ奇妙な形の車を引っぱっている。 車輪を発明したと信じられているシュメール入は、おそらく、動物を仕事のため挺使った最初の人間であろう。 そうだとすると、かれらは動物を食肉用に飼ったのち、つぎの段階では耕作用に発展させたにちがいない。 ウシ、ロバや馬ーそしてアジアの内陸では、コブウシ、ラクガやゾウ1がホモ・サピエンス[ヒト。 知恵ある人の意]の労働の仲間になったのである。 |