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アメリカグリの歴史は浅く、1803年にヨーロッパ種が、1896年に日本種が、1901年に中国種が導入され、現在交雑したものが栽培されています。 クリの果実は、その50%がショ糖やブドウ糖、ガラクトースといった糖質からできています。 クリの甘味はまさにこのたっぷり入った糖贋にあるわけですが、戟燥すると糖度が増し甘みが更に増加します。 この他、たんぱく質314%、ビタミンA、臥、C、鉄などのミネラルも含むので,クリは飢饉時の救荒食糧として昔から重宝がられてきました。 古来、殻と渋皮を除き乾燥させた「カチグリ」(掲栗)を勝利の縁起物として祝儀に用いてきた理由も、これでうなづけます。 クリ料理といえぱ、栗ご飯、含め煮が一般的ですが、『食品国歌』に「栗の能、腎補ふて氣をば増し、腸胃腰脚骨を強うす」と、補腎の薬効のあることが掲げられています。 漢方では、先ほどのカチグリに鎮静・鎮痛薬として使われている杜仲(トチュウ科の落葉高木)と混ぜ煎じて、飲む方法が行なわれています。 太古からの重宝。 クリを紹介したからにはコナラ(木楢)の実・ドングリにも触れておかねばならないでしよう。 ドングリは、ブナ科のコナラ、クヌギ、カシ、カシりや、トチノキ科のトチの木の実の総称です。 先のブナ科のクリは、古事記などの古書には-久利」の名で出てきますが、いつ頃から今圓の西から来た木11「栗」の字が当てられたかは不明です。 大槻文彦著『言海」によると、「クリは皮の色、湿(黒いという意の古語)なる意」と述ぺています。 ドングリも、一般にはこの「栗」にあやかって「団栗」-鈍架」の字が当てられていま手。 これから察するに、この名は人間の生活により身近な、実の大きい方から付けられたようです。 一流の鉢植え展などで、名品、優品といわれる作品を見学すると、まるで違った世界のものを見せられているような気がして、彼等と白分の培養技術の差にどうにも埋められない隔たりを感じてしまう。 鉢植えのプロといわれるような人達と、趣味家といわれるアマチュアとの間にはどのような技術の差があるのだろうか。 また、その違いはどのようにして生じるのだろうか。 ずっと以前から考えてきた問題である。 勿論プロのようなアマもいるだろうし、その逆もあるだろう。 どちらとも区別できない人も数多くいるに違いない。 けれども世間一般には、あの人はプロだ、この人はアマだといわれると、それでなんとなく納得してしまうのだ。 三目葉としての概念では、プロは職業としてそれで収入を得ている人、アマは職業としていない人、というのが一番分かりやすい。 しかしよく考えてみると、果たしてそれが適切な分類基準なのかどうかは甚だ疑問である。 たとえば、マルチ型の才能をもっている人では、何が職業で何が趣味なのか区別のつけようがない。 よく知られているように、油絵から芸術活動をスタートし、版画ではベネチア・ビエンナーレ展の大賞を受賞し、版画家としての地位を確立したが、後年は作陶も手がけて風化の美を表現して有名になった。 また文学作品としては、『エーゲ海に捧ぐ』で芥用賞作家となり、それを映画化して監督業までこなす多才ぶりであった。 こんな人は何が本職なのか、恐らく自分でも分からなくなってしまうのではないだろうか。 ましてや、どの分野で収入を得ていたかなどということは、他人には皆目見当がつかない。 プロかアマかを区別することはナンセンスな話になってしまう。 こうして考えてみると、プロだアマだと特別に分ける必要はないのかもしれない。 けれどもプロ作家とか業者とかいわれる人達の作品や作風は、明らかに素人のそれとは異なった風格をもっている。 私の技術などでは、はるかに年若い専門家の足元にも及ばない。 やはりプロとアマは違うのである。 その違いはどこからくるのであろうか。 永い間納得のいく答えが得られなかった。 |