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針金をかけながら、剪定もする。 この時は.実のつきそうもない弱い枝を元葉から7-8pのところで切・っていく。 もちろん、枝わかれを二叉二叉にもっていくのが基本。 針金を枝にかけ終えたら、すぐに枝を下垂させる。 曲げる時には、1か所で曲げず、1本の太い検を3か所くらいにわけて、曲げるといい。 紫式部の枝は、中が空洞でストロー状になっているから、折れやすいために何か所かにわけて、下げるのだ。 また、曲げて下げる時に、葉の裏面が見えるようになっても、心配する必要はない。 無理に葉をひわって表面を見せる必要もない。 裏面のままでも、整姿後2〜3Rもすれば、葉が光を求めて、自然に表面が見えるようになる。 いかに植物に光が大切であるかが、よくわかる。 鉢植えの世界でも「水やり三年」などという言葉があるが、盆樹の生命を維持するための最小限の基本作業でも、一人前になるにはそれだけの経験と工夫がいるということである。 だから、見る人を感嘆させるような名品を作り出す人達の技術は、何段階にもわたる基本過程に気の遠くなるような時間と労力を投入した集積によるものなのである。 しかも鉢植えは生き物なのだから、その努力には終わりがない。 「道や遠し」である。 こうした観点からわが鉢植え歴を振り返ってみると、「守・破・離」の逆コースを辿っていることを思い知らされる。 例えば「根張り・立ち上がり・幹筋・枝分かれ・葉作り」という鉢植え作りの基本過程についても、どこかに技術的な手抜かりがあって、その対応が後手に回ってしまう。 これが年数はたっていても風格に乏しい、締まりのない作品になってしまう所以である。 鉢植え技術のプロとアマの差はここにあったのだと、今さら分かってみても詮無いことだが、永年手塩にかけ愛着に満ちた駄物鉢植えたちに囲まれて、道楽を満喫している毎日である。 |