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趣味というのは、要するに相悩の問題たろう。 なせ好きか間われても、客観的な説明はむずかしい。 というより他人が入り込む余地はないのた。 根を見て健康を知る。 ネズミサシは枝枯れしやすいと言われる。 お客さんの経験では、針金かけのときにきつくかけて先端の芽を痛めた場合、枯れやすいそうだ。 お客さんは、原則として針金をかけない。 ハサミづくりである。 どうしても、大きく曲げたいときに例外的にかけるだけである。 針金をかけて樹づくりするのは邪道だ、とむかし教わったからでもあるが、それがネズミサシに合っているのか、お客さんは枝枯れさせたことがない。 春、芽が固まったら、伸びた部分だけハサミで切る。 このハサミづくりは、確かに針金をかけてつくるより2倍くらい時間がかかるが、特別に、急いで樹をつくる必要に迫られているのでなければ、徒長した部分をつめ、不要な枝をつめたり落としたりしながら枝に曲をつけるというやり方でも樹はつくれる。 もちろん、樹種によっては針金かけを必要とするものもある。 お客さんも、ネズミサシとともに長寿梅を60鉢くらい集めているが、これは針金でつくっている。 確かに針金かけは役に龍つ技術ではあるが、適材適所と考えたい。 もう半世紀近くも鉢植えを手がけているのに、さっぱりうだつが上がらない。 鉢数は猟ほどあって、それぞれの樹にはそれなりの思い入れや味わいがあるのだが、客観的に見るとどこかに過不足があって、作風が一向に垢抜けていないのである。 年数からいえば、白他ともに認めるような傑作の2鉢や3鉢はあって然るべきなのだが、未だに胸を張って人前に出せるような名品はでき上がっていない。 名品作出という究極の目的からいうならば、ずいぶん無駄な努力をしてきたことになるのだが、それでも飽きることなく、毎日の灌水(ウィークデーはかみさんの専業で、その限りでは頭が上がらない)は勿論のこと、植え替え、剪定、施肥などの 培養作業を永年来続けてきている。 「下手の横好き」というべきか、良いとか悪いとかの価値基準を超えた趣味者ならではの、理屈抜きの私の世界なのである。 年をとってきたので、作業がきつければやめてしまえとか、鉢数だけでも減らした方がよいとかみさんはいうのだが、御意見として拝聴してはいるものの、それを実行できるような踏ん切りはとてもつけられない。 まるではまりこんで抜けることのできない蟻地獄のような、果てなき夢を見続けている「業」の境地である。 所詮は親父の白己流技術を受け継いだ素人の道楽なのだから、駄物でも凡作でもそれでよいのだと割り切ってしまえば気は楽なのだが、それでも駒年もやっていて会心作がないというのは、どうにも情けないやらで癪にさわる。 |