中国鉢の輸入時代による区分 中国鉢は、昔は支那鉢(しなばち)と呼んでいたが、これもその輸入した時代により、色々な呼び方がある。 @古渡(こわたり) これは正確に何年までに輸入したものという、厳密な区分はないが、だいたい200年以上前に輸入したものと見るのが正しい。 これは、鉢を作る技術の過程などから、足の形などで、だいたい区分が出来る。 古渡鉢は、もともと鉢を目的として製造したものではなく、墓所の線香立てにしてあったものを、日本人が目をつけて輸入したものだと言う説があるが、定かではない。 土目が非常に良く、時代が経っているから、風格が高い。 形は一般にやや深いものが多い難はあるが、それだけに、作りは良く出来ている。 更に、時代が古く、希少価値を伴うもので、非常に重視されている。 A中渡(なかわたり) 古渡鉢の素晴らしさに感動した日本の業者が、支那に行き、形を指定して焼かせたもので、明治から大正中期にかけて輸入したものと考えられる。 「古いという希少価値」を除けば、鉢ヒしての使い易さ・形などから、最も優れたる鉢は、この中にあると言っても過言ではない。 近年、これらのものの中から、時代の乗っているものを指して、古渡鉢と称している傾向があるが、本来古渡鉢は、「切り足」の形からして違うのである。 B新渡(しんとう) 大正中期から、昭和戦前にかけて輸入したもので、量が非常に多くなったため、質的には、優劣の差が大きい。 C新新渡(しんしんとう) これは、戦後社会主義中国になってから作られたもので、用土の質は変わっていないが、(ノルマで作る関係かどうか)製作は乱雑に近いものがあり、肉厚で重いものが多く、優れたものは少ない。 新新陶と書く向きもある。 大正常とは? 大正時代に、支那鉢の優秀性に感動した日本の陶芸家が、支那鉢に似せて作ったもので、「落款」で多いものは、「せんしりんせい≒と「きんかぞういん」がある。 |